2017.05.29 掲載
森の中を歩いていると、すがすがしい気持ちになって自然と上を向きますよね。深呼吸しながら美しい景色を見たり、鳥のさえずりを聞いたり、お弁当も楽しみです。そんな時に、林道から外れて黙々と地面を這いつくばっていたり、倒木の周りをうつむき加減でうろうろしていたり、何やらボロボロの枝を嬉しそうに抱えている不審な集団がいたら、すみません。もしかしたら私たちかもしれません。
さて、私の専門は「木材の化学」と「菌類の生化学」です。ここで言う菌類とは、森の「きのこ」のことです。秋の味覚として印象深いきのこですが、私は分類が得意ではなく微生物として捉えます。微生物として見てみると、きのこには木材を腐らせる能力を持つ仲間がいます。皆さんがスーパーなどで見かけるシイタケやエリンギ、エノキタケなどは白色腐朽菌と呼ばれる木材をまるごと分解できる能力を持った菌類です。森の中に入るとよく見かける、木が腐る(腐朽といいます)という現象は、光合成で固定された炭素を再び大気に戻す重要な働きなのですが、木材の化学構造から考えると、実はとても特殊で不思議な現象なのです。木材の細胞壁は「セルロース」「ヘミセルロース」「リグニン」という3つの天然高分子から成り立っています。この中でもリグニンという物質は、何十年、何百年と同じ場所で生きていかなければならない樹木が、外敵に捕食されないように発達させてきた「鎧」のような働きをしています。私たちが「燃やす」以外の化学の力でリグニンを分子レベルで分解しようとしたら、200℃を超える高温や高濃度のアルカリなどの触媒が必要になります。この強固なリグニンの分解を、きのこの仲間の白色腐朽菌は特殊な酵素を分泌することで、常温常圧の自然環境条件下でやってのけるのです。実はこのメカニズムは十分には解明されておらず、まだまだ謎だらけ。私はこの木材腐朽のメカニズムの解明という基礎研究と、有機物分解のスペシャリストである菌類の能力を生物触媒として、木材などのバイオマス資源から燃料や化成品原料を作るバイオプロセス化や、汚染物質の分解による環境浄化に生かすための応用研究を行っています。
菌類の研究は微生物学に通じているので、研究を進める一つのアプローチとして「特殊な能力を持った菌を探す」があります。これは、様々な場所の森林に分け入って、腐朽材やそこに生えているきのこ(子実体といいます)を採取して、研究室に持ち帰り、一つ一つのサンプルから菌糸を分離し、その能力を評価していきます。まさに微生物ハンティングですが、冒頭に述べた不審な行動はこれです。この調査は秋の行楽シーズンが多いため、美しい紅葉の中を散策できて、得した気持ちになります。そのような地道な研究から、私たちは最近、木材からバイオエタノールを作り出すことができる特殊な白色腐朽菌を見つけ出しました。応用的な視点からは、微生物の力だけで木材を液体燃料に変換できることを意味するので注目しており、最新の遺伝子組換え技術を使うことで、様々な有価物を生産できる特殊な菌の分子育種にも取り組んでいます。一方で、この菌が通常の森林と異なった環境であるマングローブ林から採取されたことから、なぜこのような特殊な形質を獲得したのかという環境適応と進化に思いを馳せるのも、一つの楽しみです。
ところで、微生物学や分析化学をやっていると恐怖を感じる言葉があります。それは「コンタミネーション(contamination)」です。研究室の学生さんたちは慣れてくると、「コンタミ!コンタミ!」と連呼して、実験失敗の理由を片付ける魔法の言葉に化けるのですが、雑菌等の混入による汚染のことをさします。私たちは一般的に100%純粋に培養した菌を用いて研究をしてきました。しかし自然環境で達成される現象の多くは、様々な微生物が関わりあって達成される複合微生物系です。これに着目して、腐朽材から分離された異なる微生物を「一緒に・混ぜて」培養する研究を進めたところ、ある種のバクテリア(細菌)が白色腐朽菌の菌糸成長を促進するという現象を見出しました。どうやらある種の化学物質を介してコミュニケーションをとっているようなのです。どのように相互作用しているのか。興味が尽きないところです。
山歩きの途中で、ふと目にした倒木。目に見えない小さな菌類たちが助け合いながら必死に分解していると考えると、ちょっと応援したくなりませんか?