宮崎大学
ニュースリリース

元特攻隊員の庭月野英樹さんが大学生へメッセージ

2023年10月19日 掲載

令和5年10月19日(木)、宮崎大学は、宮崎基地特攻資料展特別講演会を開催し、約130名の学生と教職員が参加しました。

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△ 会場の様子

この講演会は、10月10日から実施している宮崎基地特攻資料展開催に合わせて実施したもので、資料展を監修する郷土戦史研究家である稲田哲也さん(南九州文化研究会)と元特攻隊員の庭月野英樹さん(97歳)にお越しいただき、冒頭で、稲田さんから資料展の特徴を以下3つの項目に分けて説明していただきました。

 ① 現在の宮崎空港が戦時中は海軍航空隊の基地として機能していて、確認されているだけで44131名が特攻隊として飛び立ったこと。
 ② 現在の宮崎大学教育学部附属小学校周辺が爆撃され、児童・生徒が命を落とすことになったが、なぜ学校周辺が爆撃されることになったのか。
 ③ 宮崎県内で撃墜されたことが原因で命を落としたアメリカ兵38名の遺影も展示した、日米双方からの視点による資料展となっていること。

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△ 稲田哲也さん

その後、庭月野さんと稲田さんのトークセッションに移り、「初めて空を飛んだときの思い出」・「対馬丸が撃沈される直前の護衛をした際の様子」・「特攻隊員への配属は志願だったのか」・「出撃待機中の気持ちとは」など、和やかな雰囲気のなかでセッションが行われ、最後に庭月野さんから「これからは皆さんが主力です。平和を保つための努力をして欲しい」とのメッセージをいただきました。

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△ 写真右:庭月野英樹さん

時間を割いて貴重なお話しをいただいた庭月野さんと稲田さんのお二人には心より感謝申しあげます。

【庭月野 英樹氏】
沖縄海軍航空隊や木更津海軍航空隊などに所属し、木更津で特攻出撃待機中に終戦を迎える。沖縄航空隊に所属した1944年には、日中に航空機のパイロットとして沖縄から長崎に向けて出航した対馬丸を護衛していた経験も持つ(同日夜間に潜水艦による魚雷攻撃を受けて沈没)。終戦後は、海上警備隊(後の海上自衛隊)に入隊し、海上警備隊のパイロットを経て、航空大学校教官を務めた。

【宮崎基地について】
昭和18年に利用が開始され、短期間訓練基地や南方戦線への中継基地として使用された。昭和19年10月からは台湾沖航空戦への中継基地となり、戦局が悪化した昭和20年3月21日、宮崎基地からの特攻隊第一陣である菊水部隊銀河隊が出撃。5月25日の第十銀河隊に至るまで未帰還機44機131名が散華した。現在は宮崎空港や航空大学校となっている。

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