子牛の病気と胸腺の異常



宮崎県は全国有数の畜産県であり、和牛の生産が盛んに行われています。牛を育てる上で各個体が健康であることが望ましいですが、残念ながら子牛の肺炎や下痢といった感染性の病気が多く起こっています。我々はルーティンワークの一つとして廃用牛の解剖を実施し、その所見を畜産現場で働く獣医師に還元しています。廃用とは経済的価値がなくなることを指し、病気や事故、老化によって生じます。
廃用牛の解剖を行っていると、「胸腺」が小さい子牛が多いことに気付きます。胸腺とは免疫系に重要な役割を担うT細胞を産生する器官で、ヒトでは心臓の頭側に位置し、ウシでは更に頚部を下顎近くまで発達します(図1)。「胸腺が小さい→T細胞が少ない→細菌等に感染しやすい」のようなストーリーが思い浮かびます。そして胸腺を大きくすれば子牛の廃用が減りそうなことも。
図1 子牛の左胸腔前部
中央に胸腺、右上に肺、右下に心臓がみられる。左が頭側、上が背側である。
ではなぜ廃用子牛の胸腺は小さいのでしょうか?病気になりやすい子牛は妊娠時の栄養状態など母牛の影響を受けて虚弱な体質となっているものと考えられています。つまり、小さな胸腺は正常に発達していない「低形成」の状態にあると疑われています。一方、ヒトで胸腺の低形成は稀であるのに対し、胸腺はストレス等によって容易に「病的退縮」することが知られています。果たして廃用子牛の胸腺は大きくなっていないのか、それとも小さくなっているのか。
この謎を解明するべく、我々は廃用子牛の胸腺を薄切りにしてプレパラートに貼り付け、顕微鏡下で細胞レベルまで観察しました(組織学的観察という)。正常な胸腺は細胞密度が高い皮質と細胞密度が低い髄質を見分けることができます(図2)。廃用子牛の胸腺組織を観察したところ、死細胞がマクロファージに貪食されていたり(図3)、皮質と髄質が見分けられなくなっていたり(図4)、多くの症例が病的退縮時に特徴的な所見を有していました。つまり、虚弱な子牛の胸腺は病的退縮によって小さくなっているのです。
図2 正常な子牛胸腺組織
桃色に染色された細胞質が豊富な髄質が図の中央に認められ、青紫色に染色された細胞核が豊富な皮質に囲まれている。左下の黒棒は250μmを示す。
図3 病的退縮早期の子牛胸腺組織
死細胞を貪食した淡染性の細胞質を有するマクロファージが多数出現し、いわゆるstarry-sky像を呈している。左下の黒棒は50μmを示す。
図4 病的退縮末期の子牛胸腺組織
胸腺の実質が萎縮し、皮質と髄質の区別がつかなくなっている。左下の黒棒は250μmを示す。
では何が子牛の胸腺を小さくさせているのでしょうか?我々は遺伝子レベルまで調査し、炎症性の生体応答が廃用子牛の胸腺退縮と関連していることを突き止めました(DOI: 10.1016/j.tvjl.2024.106225)。炎症反応は感染によっても誘発されるため、「胸腺の機能低下→免疫低下→感染→炎症→胸腺の機能低下」といった悪循環が起こっていることが予想されます。廃用子牛に対する更なる疫学的調査やモデル系を活用した実験を行い、子牛の胸腺が小さくなるのを予防して病気の発生を減らすことを目指した研究を進めています。