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2025.03.18
学生活動教育

Master's Double Degree Program(DDP)制度を活用したインドネシアのブラウィジャヤ大学の留学を経験して ~工学研究科環境系コース 井上優希さん~

 工学研究科環境系コースに所属する井上優希さんは、Master's Double Degree Program(工学部独自の修士課程交換留学プログラムで宮崎大学と海外協定大学の2大学で学問を修めることができる制度)を使って、2023年10月から2024年8月までインドネシアのブラウィジャヤ大学に留学していました。

1.海外留学をしようと考えたきっかけは何ですか?

 高校1年次、ハワイから訪れた学生の「校内バディ」に参加するも全く話せずに撃沈。そのときに「いつかちゃんと英語が話せて、笑顔で会話できるようになりたい」と思うようになり、英語学習に注力するようになりました。その結果、翌年のマレーシア修学旅行時には海外の人とスムーズに英語で意見を伝えることができ、「海外の方が自分を活かせるし話しやすい!」と感じ、大学では留学したいなと思うようになったことが大きなきっかけです。よくよく思い出したら、いろんな周囲の学生や社会人の方に「将来土木分野において海外で働きたい!」と常々口に出していったなという記憶があります。「夢は口に出せば叶う」とはこのことだなと感じます。

2.(様々な留学・海外渡航の方法がある中で)DDPを選んだ理由は何ですか?

 DDPを選んだ理由は、学部時代にやりたくてもやれなかった長期間海外に出るチャンスだと感じ、海外でキャリアを築く上で長期留学の経験と留学先の学位取得が活きるとも思ったからです。
 大学入学前から海外志向が高かった私は、学部1年生の夏季休暇中に工学部専門選択科目「海外体験学習」による2週間のマレーシア研修と公益財団法人団体による1週間のフィリピンボランティア活動に参加し、人生で初めての海外渡航を経験しました。その後、もっと海外で自分を試してみたいと考えるようになり、大学2年次にトビタテ留学JAPAN(文部科学省の留学促進キャンペーンによる海外渡航支援)に挑戦しました。1次審査を突破できましたが、その直後に新型コロナ感染症の流行となり、トビタテ留学JAPANは中止となりました。さらには大学の感染症対策に関する規定で、実質数年間の海外渡航も不可能となりました。
 そしてようやく大学院に進学してから自由に海外渡航できるようになり、修士課程在籍中に1年間の留学ができるプログラムであるMaster's Double Degree Program(通称DDP)で長期間海外に出ることを決めました。学部学生時代に「海外で土木・インフラ分野でキャリアを築くにはどうしたらいいんだろう」と模索していたため、海外でキャリアを積んでいる社会人の方に自ら話を聞きに行きました。その過程で「自分で見て・聞いて・感じたことは経験となって身に付き、一生の資産になる」と学びました。今思えば、海外で知見を培いたいと考えていた私にとって、修士学生として海外で研究を続けられるというDDPは取るべき選択肢だったと思います。通常は休学しなければできない長期留学を、休学することなく修士課程在籍期間として認められるDDPの制度は大変魅力的でもありました。

3.留学までの準備について教えてください。

 大学院進学後に複数の授業を受講しながら、留学までの準備を進めました。過去にDDPで留学されていた先輩の体験談を伺うなど留学に必要な情報を収集しつつ、宮崎大学の指導教員の先生の助言を受けながら手続きを進めていきました。
 学部4年次の研究室配属時から先生には留学の意思を伝えており、TOEICスコアによる語学力証明もできていたので、問題なく承認していただきました。先生ご自身も研究留学を経験されていたため、肯定的に受け止めていただけたのだと思います。2023年7月に正式な合格通知をもらい、インドネシア入国に際して必要な手続きを急いで行いました。9月にはオンラインでブラウィジャヤ大学の授業を受け、10月に渡航してブラウィジャヤ大学での学生生活を始めることになりました。
 渡航前にかかった費用は、約30万円でした。内訳は渡航費で約5万円、一年間の海外保険で15万円、ビザ申請で約6万円、予防接種や必要品の準備で約5万円です。

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お世話になった指導教員の先生

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研究調査で訪れたBrangkal 川

4.留学中の思い出を教えてください。

 留学中にはブラウィジャヤ大学の指導教員の先生に大変お世話になりました。インドネシア人の先生でしたが、宮崎大学に留学されていた経験があり、日本・宮崎に関する豊富な知識をお持ちで、先生の懐かしい思い出を語ってくださいました。
 土木工学科の他の先生方も大変親日家の先生だったこともあり、日本語学科クラスのサポーターという話を持ち掛けてくださり、初中級程度の授業で、時々英語での解説を交えながらインドネシア人の学生と日本語で話す仕事をしました。授業中だけでなく、授業後も積極的に話しかけてくれたり、一緒にごはんに出かけたりして仲良くなり、みんなで海に行って泳いだことがいい思い出です。

5.留学中に苦労したことはありましたか?その困難をどのようにくぐり抜けましたか?

 インドネシアは日本と同様に英語圏の国ではないため、基本的にインドネシア語やローカル言語が日常会話で用いられていました。買い物に行く際などは翻訳アプリを使いながら少しずつインドネシア語のフレーズを覚えました。また、専門科目の英単語には苦労しました。特に講義を受ける際に、初めて見る工学専門用語が多かったため、電子辞書を準備し、ノートに新出単語のメモ欄を作りながら一生懸命に覚えていきました。また、宮崎大学で受けていた専門科目のノートと照らし合わせながら理解を深めていました。

 インドネシアでは、バリ島とジョグジャカルタを除き、イスラム教徒が大半を占めており、街のあちこちにモスク(イスラム教の寺院)が建てられています。豚肉やお酒が禁止されていることに加え、生活の中では特にアザーン(イスラム教のお祈りの時間を知らせる合図)が毎日早朝から鳴り響くなど、宗教的慣習の違いに慣れるのに苦労しました。

6.研究活動や就職活動はどうされましたか?

 パソコンを用いたプログラミング・GISデータの解析をメインとする研究だったため、インドネシアではパソコン室を1部屋借りて研究活動を行っていました。授業のない時間帯にはパソコン室にこもって1人で作業を進め、相談や進捗報告の際には指導教員の先生の部屋を訪問していました。さらには、宮崎大学の指導教員の先生に対して、週に1回程度ビデオ会議を使って進捗報告をしていました。また、宮崎大学の共同研究や後輩のサポートも行っており、毎日の作業内容を忘れないように記録簿を付けていました。苦労することはありましたが、帰国後に多くの学会で研究成果を発表する中で他大学の先生・学生と交流を広げることができてよかったです。

 就職活動については、日本にいる学生と同様に就活サイトを利用しました。当時はコロナ渦でオンラインでの就活が普及していたこともあり、Wi-Fiとパソコンがあれば特に問題はありませんでした。多くの日本企業が1次面接・最終面接を対面で予定していましたが、一時帰国に必要な時間・費用を伝えるとどの企業もオンラインでの面接実施を受け入れてくださり、とても助かりました。結果として、建設コンサルタントの業界で働くこととなり、海外部署に配属という自分の希望を叶えていただくこともできました。就職活動中には、説明会後にいくつかの日本企業の連絡を取り、インドネシアの事業所での現場見学をさせていただくこともでき、自分が働くイメージを持つことに繋がりました。

7.インドネシアでの留学で得たことは何ですか?

 インドネシアでは、多様性を受け入れて互いを認め合う精神が根付いています。ブラウィジャヤ大学に留学したばかりの私は言葉が通じず、現地の風習に戸惑うことばかりでした。ブラウィジャヤ大学には日本人学生がほとんどおらず、マイノリティの立場でもありました。しかしながら、誰に対しても寛容なインドネシア人たちにいつも助けてもらいました。インドネシアには親日家が多いこともあり、気軽に話しかけてくる人が多く、中には家に招いてくれたり、食事をごちそうしてくれたり、今でも連絡を取り合う関係を築くこともできました。彼らのおかげで、インドネシアは私にとって帰りたいと思える第2の故郷となりました。

8.これから留学などを考えている学生たちに向けて

 私は困難な状況にあっても自分から解決策を見出すように努力してきました。インドネシアでの留学では、異文化に適応していく面白さと共に、自分の意見を主張することの大切さにも気づきました。宮崎大学での6年間を通して、様々な人々に出会い、成長することができました。
 学生時代に挑戦したことは必ず将来につながります。海外留学という得難いチャンスにもぜひ挑戦してみてください。

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ブラウィジャヤ大学の先生方との記念撮影
(中央:井上さん)

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日本語学科クラスで仲良くなった方々


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