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平成28年度卒業証書・学位記・修了証書授与式告辞(平成29年3月24日)

春の息吹を胸いっぱいに感じられる中、平成28年度宮崎大学卒業証書・学位記ならびに修了証書授与式を行えますことは、大きな喜びであります。宮崎県知事河野俊嗣様をはじめ、ご来賓の皆様、卒業生・修了生のご家族の皆様には、多数ご参列いただき心から御礼を申し上げます。特に、ご家族の皆様にはお喜びのことと拝察いたします。誠におめでとうございます。

本日は、学士課程においては教育文化学部216名、医学部161名、工学部342名、農学部261名の卒業生に卒業証書・学位記を授与することができました。また大学院修士課程では教育学研究科40名、看護学研究科9名、医科学看護学研究科3名、工学研究科130名、農学研究科44名、医学獣医学総合研究科12名に学位記を授与することができました。博士課程では医学系研究科博士課程1名、医学獣医学総合研究科博士課程11名、農学工学総合研究科博士後期課程8名に学位記を授与することができました。以上総計1,238名の卒業生・修了生を送り出すことになります。皆さんおめでとう。心からお祝いの言葉を送りたいと思います。

この中には留学生の皆さんも含まれています。学士課程3名、大学院修士課程で18名、大学院博士課程で6名、合わせて27名に卒業証書・学位記ならびに修了証書を授与することができました。言葉や習慣の違いを克服して、目的を達成された努力に心から敬意を表します。宮崎大学の国際交流は最近大きな広がりの輪となってきました。とりわけ世界に凶悪なテロの恐怖が広がる昨今、お互いを認め合いながらともに前進する国際交流の尊さが求められています。帰国の後も、宮崎で育んだ学問と親交の絆を大切にして、それぞれの母国間の架け橋となってもらうことを期待します。

今回のノーベル賞は医学生理学分野で大隅良典教授が受賞され、日本人が3年連続して受賞するという輝かしい結果となりました。受賞された大隅教授は「人がやらないことをやろうという思いから研究を始めた」と言われ、又「サイエンスはどこに向かっているか分からないところが楽しい。ゆとりを持って基礎科学を見守ってくれるような社会になって欲しい」と述べておられます。このことは基礎科学研究の世界のみならず、あらゆる分野の社会に共通することだと思います。教育に携わる我々にとっても心強い後押しとなるメッセージであり、そしてこれから大きな夢に向かって社会人として育って行く皆さんにも当てはまる言葉だと思います。皆さんが立派な社会人として成長し発展してくれることを願わない人は誰もいません。大隅教授のことばを胸に抱いて、それぞれの人生を歩んでもらいたいと思います。

さて、世界に目を向けると、イギリスのEU離脱に始まる経済の不安定化や凶悪な国際的テロの広がり、難民問題などで多くの国が困難に直面しています。さらに世界の大国を任じてきたアメリカではトランプ大統領の出現によって、不透明な動揺が全米のみならず世界中に広がっています。

1961年アメリカの第35代大統領に就任したジョン・F・ケネディは日本人記者団から「あなたが、日本で最も尊敬する政治家は誰ですか」との質問を受けて、「それは上杉鷹山です」と答えています。駐日大使を務めた長女のキャロライン・ケネディさんは、2014年米沢市を訪れて、ケネディ元大統領が鷹山を尊敬していたことを明らかにしています。またそのことを示す文書が残されていることもアメリカ大使館で明らかにされています。1800年代後半にフランスの首相を務めたクレマンソーもこの思想家と話してみたいと述べているそうです。天下を平定して日本を治めた訳でもない鷹山の名声は日本から世界へと伝わっていました。おそらくは内村鑑三著の英文による「日本および日本人」が発行されその情報が世界に広がったためであろうと言われています。

上杉鷹山は1751年日向高鍋藩主秋月種美(たねみつ)の次男として江戸藩邸に生まれている、宮崎ゆかりの人物です。9歳の時、縁あって山形県米沢の上杉家の養子となります。しかし、鷹山については戦前の修身の教科書に取り上げられていたこともあり、その後の我が国の歴史的な変化の影響もあって、上杉鷹山を知る人は少ないようです。鷹山は15歳で米沢藩上杉家の藩主となり、17歳で現地に赴任して藩政をとりしきる立場になります。財政も底をつき、凶作続きで危機に瀕していた米沢藩を立て直すために、家臣たちに徹底した倹約を求めます。そして自らも率先して身の回りのことを始め、数々の倹約に務めたと言われています。しかしその厳しい倹約策の一方では、積極的に藩の産業振興も展開しています。塗料や蝋の原料となる漆の木の栽培や、和紙のもとになる楮(こうぞ)の育成、絹織物に必要な養蚕のための桑の木を植えるなどの振興策です。

これらに時間をかけて辛抱強く藩政を展開した結果、領内の財政は健全化し、次第に落ち着きを取り戻しました。鷹山は米沢藩に赴任した17歳の時に、自らの弱さを認め謙虚でなければならないと国元の春日神社に誓い文を奉納しています。このような心を備え持っていたからこそ、最後には家臣や領民から強い指導者としての尊敬と信頼を得ることになり、藩立て直しの偉業につながったとみる人は多いようです。さらに、鷹山は14歳の時から、細井平洲という学者を終生の師として仰いで礼儀正しく接し、藩主となった後も、折につけ様々な助言を受けています。

これから社会に出て行く皆さんには困難に耐えなければならない時も、あるいは、積極的に攻めて前に進む時もあろうかと思いますが、縁あって宮崎大学に学び、巣立って行く皆さんには、日向高鍋藩ゆかりの上杉鷹山の人生を時には参考にして、本学で培った友人や本学教職員との絆を生涯の宝物として歩み続けてもらうことを祈りながら私の告辞といたします。

平成29年3月24日
宮崎大学長 池ノ上 克

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