宮崎大学
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令和元年度卒業証書・学位記・修了証書授与式告辞(令和2年3月24日)

告辞

 今年度の宮崎大学の卒業式、修了式はフェニックス・シーガイア・リゾートでの式典を控え、学科単位での証書授与となりました。同一空間に大勢が長時間滞在することによる新型コロナウイルス感染拡大へのリスクを考慮した結果です。宮崎大学に学んだ皆さんが卒業、修了される極めて重要な節目の式典が行えないことは、遺憾にたえません。

 巣立ちの日を楽しみにしていた卒業生・修了生の皆さんや、ご家族はじめ関係者の皆様にお慶びの言葉を直接お伝えできないのが残念ですが、私からの贈る言葉を書面で届けたいと思います。

 今回は学士課程で1,000名を送り出すことができました。特に今回初めての卒業生を送り出す地域資源創成学部で91名が卒業することになりました。皆さん大きく胸を張って飛び立って下さい。

 また、大学院修士課程では216名、大学院博士課程では28名にそれぞれ修了証書が授与されました。さらに、畜産別科でも5名の修了生に修了証書が渡されました。

 以上総計1,249名が卒業・修了を迎えました。「おめでとう」。

 この中には留学生32名も含まれています。言葉や習慣の違いを克服し、目的を達成した努力に心から敬意を表します。

 宮崎は歴史と自然に恵まれたところです。現存する我が国最古の書物といわれる古事記では宮崎は天孫降臨の地とされ、また近代文化に大きな影響を与えた偉人たちを数多く輩出している所でもあります。

 歌人の若山牧水、脚気の研究者高木兼寛、明治時代の外交官小村寿太郎などがその代表的な人物です。若山牧水の業績は「牧水賞」など全国的な文化的事業として今日に引き継がれています。

 高木兼寛の業績は脚気予防の研究のみならず、医学、看護学教育においても歴史に名を残しています。高木兼寛翁を学祖と仰ぐ東京慈恵会医科大学にはその精神が引き継がれています。

 宮崎大学では令和233日に東京慈恵会医科大学との間に、教育、研究に関する連携協定を締結しました。準備を整えて医学部の臨床実習の相互受け入れや研究発表のシンポジウムなどが始まる予定です。

 高木兼寛翁は1849年宮崎市高岡町穆佐に生まれました。英国人医師ウイリアム・ウィリスから西洋医学を学び、英国セントトーマス病院医学校に留学します。帰国後は、海軍軍医総監となって活躍します。多くの兵士達の死亡原因となっていた脚気の予防に関する研究として、海軍の練習艦の兵士に前年にはなかった麦飯入りの食事を取らせるという壮大な遠洋航海実験を行って、病者を出さず予防法を確立します。この研究方法は現在の臨床医学研究の考え方の基礎になるものであり、高木兼寛翁の研究的な感性の高さに驚かされます。

 さらに東京において英国式の医学や看護学の教育を始めた人物でもあり、日本の医学史上高く評価されている人物です。

 高木兼寛翁の晩年は宮崎神宮造営の代表幹事を務め、地元宮崎では現在の神武さまのお祭りを始めたことで知られていましたが、医学的貢献についてはあまり広くは知られていませんでした。しかし最近では宮崎市の総合文化公園や宮崎県医師会館内に銅像が建つなど顕彰の機運が高まってきたことは喜ばしいことです。

 高木兼寛翁の医学研究の業績は時代の逆風などのため、日本ではあまり高くは評価されていませんでしたが、当時の英国などでは、南極基地の一端を高木岬と名付けるなど高い評価を受けていました。本学のスローガンである「世界を視野に地域から始めよう」がまさに実践されたものです。

 この度、卒業証書や修了証書を授与された皆さんの前途にも、周囲の理解が得られず、解決不可能と思われる困難な問題が待ち受けているかもしれません。その時には高木翁が示してくれたように、自分を信じ、軸をぶらさずに目的に向かって努力することの尊さを、皆さんの卒業にあたって贈る言葉としたいと思います。おめでとう。

令和2324

宮崎大学長  池ノ上 克

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