ニュースリリース
2020年10月26日 掲載
令和2年10月15日(木)、宮崎大学330記念交流会館コンベンションホールにおいて「宮崎基地特攻資料展記念講演会」を実施し、約100名の学生と教職員が参加した。
本記念講演会は、大学生をはじめとする若い世代に戦争の悲惨さと平和の尊さを伝えることを目的として、同年8月19日から実施している宮崎基地特攻資料に係る展示最終日に合わせて実施したもので、戦史研究家である稲田哲也氏(南九州文化研究会)と元特攻隊員の庭月野英樹氏が講師を務めた。
稲田氏は、宮崎市在住で水質管理に関する本業の傍らで郷土の戦史研究を行う49歳。現在の宮崎空港について戦時中と現在の様子を比較しながら説明したほか、宮崎を最期の地として飛び立った宮崎県出身の特攻隊員2名について説明するとともに、本学において実施した資料展がきっかけとなって届いた遺書などをもとに、検閲を受けた遺書と検閲を受けていない遺書を比較しながら、特攻隊員の想いに心を寄せながら当時の状況を説明した。
庭月野氏は、沖縄海軍航空隊や木更津海軍航空隊などに所属し、木更津で特攻出撃待機中に終戦を迎えた94歳で、沖縄航空隊に所属した1944年には、日中に航空機のパイロットとして沖縄から長崎に向けて出航した対馬丸を護衛していた経験も持つ(同日夜間に潜水艦による魚雷攻撃を受けて沈没)。同氏からは、「皆さんはこんな平和な時代に生まれてよかった。平和な世の中であれば私も大学に行ってみたかった。是非、自分に向いた仕事を見つけて頑張って欲しい」と、学生に向けて心のこもったメッセージが送られた。
受講した大学生からは「知らないことばかりだった」「一言一言がとても重たかった」「宮崎で起こった悲しい出来事を繰り返さないために、私たちが語り継いで行く必要があると感じた」などの感想が寄せられた。
宮崎基地特攻資料展は8月中旬から約2ヶ月間開催され、宮崎基地を最期の地として飛び立った特攻隊員の紹介、宮崎大学附属小学校が爆撃されて生徒が命を落とした事件が発生した原因について紹介しているほか、宮崎県内で撃墜されたことが理由で命を落としたアメリカ軍兵士の紹介もするなど、日米両国からの視点により宮崎県内で起こった事実を紹介していることが特徴。宮崎大学では、このような資料展や講演会を通じて、今後も平和に対する強いメッセージを発信していくこととしている。
【宮崎基地について】昭和18年に利用が開始され、短期間訓練基地や南方戦線への中継基地として使用された。昭和19年10月からは台湾沖航空戦への中継基地となり、戦局が悪化した昭和20年3月21日、宮崎基地からの特攻隊第一陣である菊水部隊銀河隊が出撃。5月25日の第十銀河隊に至るまで未帰還機44機131名が散華した。現在は宮崎空港や航空大学校となっている。
PDFファイルをご覧いただくためには、Adobe Reader(無償)が必要です。Adobe Readerは Adobe Readerのダウンロードページよりダウンロードできます。
PAGE TOP