宮崎大学
ニュースリリース

土呂久砒素公害史の集大成となる「和合の郷」が出版されました

2024年04月15日 掲載

土呂久砒素公害史の集大成となる「和合の郷 - 祖母・傾山系土呂久の環境史 -」(川原一之著、A5版、580ページ)が出版されました。

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宮崎県高千穂町の土呂久(とろく)は、宮崎県と大分県境にそびえる祖母・傾山系の谷間に奥深く分け入った集落で、現在では、限界集落になった地区ですが、1960年代初頭まで鉱山が操業して社宅が立ち並んでいました。その鉱山が猛毒の亜ヒ酸を製造したことにより、土呂久の環境が汚染され、農林畜産物だけでなく人の健康が侵されて、1973年に環境庁(現・環境省)から公害地域に指定された稀有な歴史を持つ集落です。

川原氏は現在、宮崎大学客員教授・非常勤講師として、教育学部棟2階の「土呂久歴史民俗資料室」で土呂久資料の収集・整理にあたっています。1971年に朝日新聞宮崎支局(現・宮崎総局)に赴任して3年目の駆け出し記者の時に土呂久砒素公害を知って以降、新聞社を辞めて半世紀近く土呂久集落の歴史を調査・研究し、20192023年にかけて朝日新聞宮崎版に181回にわたって連載した内容に修正・加筆が加えられて「和合の郷」は完成しました。土呂久砒素公害史の集大成となる書籍ですので、是非読んでいただければ幸いです。

◎著者である川原一之氏からのメッセージ;
「いま正確に歴史を記しておかなければ、土呂久に起きたことが次の世代に伝わっていくことがない」との思いで、埋もれていた資料の発掘と新解釈を加え、「和合の郷」を自費出版しました。本書の中で、祖母・傾山系に集落が形成された過程、西国一の長者をうみだした銀山時代、猛毒亜ヒ酸の製造が始まった背景、集落を苦しめた煙害の実態、自治組織「和合会」の抵抗と内部対立、人の健康被害が社会問題化した経過、損害賠償訴訟と最高裁和解、その後の国際協力、土呂久を舞台にした環境教育、深刻化する過疎......と激変した歴史を詳述しています。これから土呂久の歴史を学び、研究する方々の出発点になるにちがいありません。

土呂久砒素公害(とろくひそこうがい)

高千穂町岩戸の土呂久地区の旧土呂久鉱山で約40年間(途中休山の時期あり)行われた猛毒の亜ヒ酸製造による煙害や水質・土壌汚染の影響で、周辺住民が慢性ヒ素中毒症を発症した公害。1971年に地元の小学校教諭の調査によって社会問題化し、1975年に公害患者が鉱業権を引き継いでいた住友金属鉱山に対して裁判を開始。15年かけて和解した。

▼本件に関する入手方法等の問合せは、メールにて川原一之氏までお願いします。
aanrakan〇gmail.com
※メールアドレスの「○」部分を「@」に変更して送信してください。

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