宮崎大学
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野球とソフトボールを愛する医学科女子 ~私が医者を目指す理由~
吉田 日和(よしだ ひより)さん

2022年5月11日掲載

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吉田 日和(よしだ ひより)さん

学生(医学部医学科4年)

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1999年生まれ。延岡市出身。
小学5年生から中学3年生まで男子に交じって野球部に所属する。中学校で男子との体力差を感じ、地元の延岡高校に進学した際は陸上部に入部。中距離を専門とする。
現役のセンター試験当日はインフルエンザに感染。北九州で1年浪人後、宮崎大学医学部医学科に入学する。得意な科目は国語、苦手な科目は数学。

大学ではソフトボール部に所属し、男女混合チームの監督を務めた。サーフィンや山登りなど体を動かすことが趣味。好きな食べ物は白ご飯。一食で2、3合の米を食べる日もある。
読書と映画鑑賞も大好きで医師を目指すまでは小説家になりたかった。哲学や歴史、芸術に興味がある。映画は特に古い映画や名作映画を見るのが好きで、好きな映画は「ティファニーで朝食を」。好きな歌手は斉藤和義。手嶌葵。ヒット曲は何でも聴く雑色系。

小学生の頃から漠然と貧困問題に関心があり、医師としてアフリカの途上国で医療支援をしたいと考えていた。大学1年生の春休み、友人と西アフリカガーナへ渡航。トラブルに巻き込まれながらも現地の人に助けられ、なんとか生還する。 
宮崎大学ビジネスプランコンテスト出場やニシタチにある宮崎の大学生のバーHiDANEバーで働いていた時期を経て、現在は、FM宮崎のラジオ出演や寄生虫学研究室での論文作成に勤しむ。

無限の可能性を持つ野球に魅了されて

地元の中学校で野球部の監督をしていた父の影響ではじめました。本当は小学校低学年から入りたかったのですが、高学年になってようやく両親の許しを得て入部しました。始めるのが遅かったこともあり、試合にはほとんど出ることができませんでしたが野球を通して周囲の人への気づかい、挨拶や礼儀作法、毎日こつこつ努力することの大切さを学びました。

中学時代は男子との体力差も目立つようになり、下手くそながらも大きな声を出したり、自主練をがんばったりすることでなんとか居場所を探していました。どうして野球が嫌いにならなかったかといわれれば不思議ですが、チームメイトはもちろん、そのお父さんお母さんが暖かく見守ってくれたことが一番の要因かなと思います。野球には無限の可能性と魅力を感じていて、その魅力について切りが無いくらい話すことができますが、実際にプレーする9人以外のチームメイト全員が一人一人の役割を果たすことで、個々の力が劣っていても「チームとして勝つ」ところに特に魅力を感じています。

中学時代、女子部員は1人だったので、男子との体力差を感じて悔しい思いをすることもありましたが周りのチームメイトや保護者の皆さんに恵まれて、とても楽しい思い出が多く多く残っています。

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↑ 小学生の頃の吉田さん

医者を目指す理由

小学生くらいの頃から、貧困問題に関心があり、大人になった時に、ご飯を食べられない人たちなどに何らかの形で貢献できるようになりたいとずっと考えてきました。全ての人の側にいることはできないけど、そのようなアイコンになりたいと思った時、医者という職業に辿り着きました。シンプルに、医者ってできること多いよな...とも思って。
はじめから医者としてどのようなことをしたいという明確な目標があったわけではありませんでしたが、世界のどこかで孤独に苦しむ人々のためにできることをしたいという思いと勉強することが好きだったことでいつの間にか医学部を志望するようになったというのが本音です。

大学入学後、ビジネスプランコンテストに出場したようですが?

はい、1年生の時にビジネスプランコンテストに出場しました。ここでは、コンテストに至るまでの過程で、地域資源創成学部土屋先生をはじめとする講師の先生方から、プレゼンの技や企画書の書き方、チームで一つのものを作り上げることの大変さを学びました。当時、アフリカで現地の人たちだけで自走する持続可能な医療システムを作りたいと考えていたので、そのためにはお金の流れや起業の仕方などを学んでおきたいと思い挑戦することにしたのですが、本当に生きた勉強をさせてもらったと考えています。

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↑ ビジネスプランコンテストでプレゼンテーションを行う吉田さん (2018年撮影大橋基文氏)

海外に出て感じた価値観の違い

まず、1年の時に韓国に行きました。もともと海外に興味があったので、地ならしの気持ちで初めて日本を出ました。夜は、一緒に行った先輩とクラブで遊んだりもして、リアルな韓国の街の夜を体験しました。
次にガーナに行きました。アフリカの中では比較的治安がいいとのことで1ヶ月ほど滞在しました。ガーナ到着1週間後にマラリアにかかり、生死を彷徨ったことも今となっては懐かしい思い出です。体調の悪い時、私はタクシーに乗れましたが、現地の子供達は炎天下を歩いて移動するんだと気づき、貧困を身近に感じるきっかけとなりました。
そんな中でも、ガーナの人たちって、みんなハッピーに暮らしていたのが意外でした。街で出会った男の子の話をします。これは分かりやすくするための例え話ですが、その子は1日200円稼いで150円のご飯を食べているとします。そうすると1日50円しか貯金ができません。私はその子が付けていた帳簿を見せてもらい「これ、ぼったくられてるよ」と言いました。交渉し、真っ当な金銭を得て欲しいと思ったからです。でもその男の子は、「歌とダンスがあれば、それで十分ハッピーなんだ」と言いました。その瞬間、私は自分の価値観に囚われていたと気づきました。お金があること、モノがあることが全ての人の幸せではないこと。アフリカ、ガーナの人たちは、私が想像しているよりずっと幸せに暮らしているのではないかと思ったのです。

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↑ ガーナで出会った人たちと(2019年)

学生のバー「HiDANE BAR」の運営に携わって得たこと

HiDANE BARではかけがえのない仲間やあこがれる大人にたくさん出会いました。また、バーにたってお客さんといろいろな話をしたり、イベントをしたり、他のメンバーとはなし合いをしていく中で、自分に向いていること、自分が苦手なこと、自分という人間がどんな人なのか、どんなことがうれしくて、どんなことが許せないのか、他にもたくさん自分について発見しました。バーでの様々な経験を通して、人と比較しないありのままの自分を受け入れられるようになりました。人生で一番つらかったこの時期に自分にとって本当に大切なものは何かを見つけられたことでとても強くなれたので、今となっては本当によかったなと思っています。

このとき私を助けてくれたのは哲学や古典、宮崎の海や山、そしてたくさんの優しい人々の存在でした。人聞きの悪いことを考えてしまったり、誰かに憤ったり、自分よりつらい思いをしている誰かを傷つけたりしてしまう自分が許せなくて、自分はなんてひどい人間なんだと自己嫌悪に陥っていたとき、たくさんの素敵な言葉や考え方に出会いました。なかでも歎異抄の「じぶんが悪人であることを受け入れ、許す」という考え方は今も私の大事な軸の一つです。

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↑ HiDANE BARの前にて仲間達と撮影

医学科での4年間について教えてください。

医学科での生活は思ったよりも自由です。テストが頻繁にあり、試験範囲も広いのでテスト前は1か月ぐらい机にかじりついて勉強をします。ですが、それ以外の時間は高校生までと比べて割と自由な時間が多いのでとても満喫しています。友達と空きコマにふらっとプロ野球のキャンプを見に行ったり、サーフィンをしにいったり、ドライブをしたりするのはよく考えてみれば宮崎ならではの過ごし方かもしれませんね。4年生になってからは空きコマが全くないのでなかなか窮屈ではありますが、教壇にたつ先生方の話を聞きながらこんな仕事がしたいな、こんなお医者さんになりたいなとワクワクします。わたしは一日のなかでもお弁当の時間が大好きです。1コマ目の休み時間にもってきた弁当を全部平らげてしまって昼休みにもう一度お弁当を食べることもあります。お弁当の時間は友達と全く中身のない話で盛り上がります。関東、関西、九州、宮崎県内の出身がバラバラな友達と子供時代の話をするときは特に盛り上がります。

20220516_hito_06.jpg↑ HiDANE BAR カウンターに立つ吉田さん

吉田さんの視線の先は?

私はこれまでずっと海外に目を向けてきました。しかし、ガーナでの体験を通じて「ハッピーに介入する怖さ」に気付きました。「モノがあることがいい」という価値観の上での技術支援は、本当に現地の人たちの役に立つのか疑問に思ったのです。例えば、スマホを持っている人と持っていない人、お金を持っている人と持っていない人、そこで争いが生まれてしまう恐ろしさを感じました。今、私は、日本の女性の貧困問題に携われないかとも考えています。日本の人たちはこんなにいろいろ持っているのに、どうしてこんなに不幸に生きてしまうのでしょうか。「もっともっと」と、常に何かを追い求めて生きていて、私は日本人に対して心の貧困を感じています。
この世の中は、やった方がいいことがたくさんあるけれど、その中から自分がやりたくて、それが結果として誰かのためになるようなそんな選択肢を選んでいきたいです。将来は感染症や寄生虫症に詳しい産婦人科医になりたいなと思っています。

小学生の頃からのじぶんのテーマである「貧困」。「貧困」は連鎖していくものであり、家族の始まりである命の誕生と一番近い場所にいることで、親になる人々の経済状況や心理状況を密に把握しながら家族を支えていく仕事ができたらいいなと思っています。そのために、医学の勉強をしっかりとして専門的にすぐれた医師になるだけではなく、深みとうまみのある人間になりたいと思っています。そして、自分で自分の選択に責任を持って、自分がしたいと心から思う選択肢をとる人生を歩んでいこうと思います。

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高校生へのメッセージをお願いします。

宮崎大学はとっても田舎にあります。市街地までは車で30分、周りはたんぼや畑がたくさん。最初はなんてつまらない、都会に行きたかったなと思いました。でも、今になって思うのは大学生活を宮崎で過ごせて本当によかったということです。宮崎は、都会のように人や刺激にあふれてはいないし、イベントやきらきらしたショッピングモールも少ないですが、だからこそたくさんの時間や密なつながりの中から本当に大切なものを選び取るには最適な場所です。

私は大学生になってはじめて自然に癒やされる時間が自分にとって欠かせない時間であることを知りました。(海端や山の岩の上や木の上で本を読むのはとても気持ちがいいです。ジブリのような生活が送れます。)一歩踏み出せばそれだけでオンリーワンになれるのも宮崎の魅力です。好きなことに一生懸命向かい合っていればきっとわくわくを全力で後押ししてくれる素敵な大人たちにたくさん出会えます。この情報がありふれた社会でのんびりスローライフを楽しみたい人、ジブリな生活に憧れる人にはおすすめです。宮崎大学で新しい自分に出会いませんか。

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写真:ガーナにて撮影



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