2023年2月14日掲載
医学部医学科4年
木花キャンパスにて撮影(2022年)
2000年1月12日生まれ。兵庫県宝塚市出身。2人姉妹の妹。
兵庫県立尼崎稲園高等学校卒業後、宮崎大学医学部医学科に入学。
中学時代は陸上部に所属。主に800mなどの中距離に励んだ。
高校時代は、当初陸上部に入部したが、学業との両立が難しく1ヶ月で退部し、その後将棋部に入部。なんとなくの理由で入部したが、2年生になって後輩ができると本来の負けず嫌いの性格が出て「後輩に負けたくない」と思うようになり、将棋の腕を磨いた。その後、全国高等学校将棋選手権兵庫県大会で優勝、近畿大会で3位、団体戦では全国大会にも出場するまでに至った。
現役で宮崎大学医学部医学科に合格するも、大学1年次に2つの専門科目の単位を修得できず留年。学業面での挫折を味わうが、この経験が良い医者になるためのプロセスと前向きに捉えるようになり、現在は医師の夢に向かって奮闘中。
好きな動物はパンダ、アンキロサウルス。
好きな言葉(座右の銘):好きな言葉→政府は帆、国民は風、国家は船、時代は海である / Regierungen sind Segel,das Volk ist Wind,der Staat ist Schiff,die Zeit ist See.(独、Karl Ludwig Börne)
座右の銘→未来の自分のポテンシャルに賭けてる(=物事は可能な限り後回しにしたい)
現在夢中になっていることは、近現代史を中心とした世界史、英語、ゲーム実況を見ること、お絵描き、ダンス、ヘタリアなど多岐に渡る。
小学5年生の時、震度7を記録した東日本大震災が発生しました。私は当時関西に住んでいたので揺れを感じることすら無かったのですが、その日家に帰ると昨日まで普通の街だったはずの場所が大津波によって飲み込まれていく様子が一日中テレビで流されていました。その衝撃的な映像を見て、子どもながらに大変なことが起きてしまったんだなということを即座に理解しました。
一方で、自分はただ画面越しにそれを見ることしか出来ないことも同時に理解し、とてつもない無力感に包まれました。その時に、「二度とこんな無力感は味わいたくない」、「どんな形でもいいから次に同じような光景を目にした時に現場に行って少しでも役に立てる人になりたい」と強く思いました。これが医者を志し始めた最初のきっかけです。
私の両親は、自分が好きなように生きるためにも「しっかり勉強して人生の選択肢を広げられるようにしなさい」と、常々私に言っていました。そのように教育されてきたこともあってか、小さい頃から毎日勉強する習慣がありました。高校生まで何度も親とは喧嘩しましたが、結果的に医学部という選択肢を自分の将来に組み込めたのは両親の教育方針のおかげでもあり、スパルタ気味だった教育方針にも今は感謝しています。
明確に医師を目指し始めたのは中学2年生くらいの頃だったと思います。色々考えた結果、自分の能力で一番人の役に立てそうな仕事が医師でした。その頃から、両親には「医者になりたい」と伝えていたのですが、当時はまだ本気で言ってると思っていなかったらしく「せいぜい頑張りな~」と言う感じで軽く流されてましたね。全国高等学校将棋選手権近畿地区大会で3位になった時(高2)
中学卒業後、地元の県立高校に進学しましたが、有名大学に合格者を多数出すようなばりばりの進学校ではありませんでした。高校に入学し一番最初の三者面談の際に、担任に「医学部を視野に入れている」と伝えたところ鼻で笑われ、「うちの高校からは厳しいと思うよ」と言われたくらいです。負けず嫌いな私はその言葉にカチンときて、絶対合格して見返してやろうと強く思い勉強に精を出し始めました。
ただ当時の成績が到底医学部を目指すのに及ばなかったのも事実で、会う人会う人に「流石に無理でしょ」と言われ続けていました。そんな中、明るい笑顔で「上村なら素敵なお医者さんになれるんやわ」と唯一背中を押してくれたのが恩師である塾長先生です。
親にも学校の先生にも医学部は無理だと言われていた私にとって、塾長先生は唯一の味方でした。本当に心強かったのです。私が医学部合格に向けて勉強を頑張り、結果として合格を勝ち取れたのは、塾長先生の熱意溢れるサポートがとても大きかったと思っています。
受験直前期には、ついに両親も私の熱意に負けて「あんたのやりたいようにやりな」と諦め、応援してくれるようになりました。合格発表の時に自分の番号が見えた時には本当に驚いて、嬉しくて、実感が湧かなくて、ギャーギャー騒ぎながら家族と喜びを共有しました。
入学式にて、友人とみやだいもうくんと(右:上村さん)
宮崎空港に降り立った時、空港の前に立ち並ぶフェニックスや色とりどりの花に南国ムードを感じて、とても良いところに来たなって思いました。
バスに揺られながら宮崎の町を眺めているととあることに気づきました。
「線路、一本しかなくない?えまじで?電車ぶつかるくね?」って思いました。地元の宝塚では3分に1本くらいのペースで電車が来ていたので、線路は複数本あるのが当たり前だと思っていたんです。またその電車を使おうにも駅にはいわゆる改札がない無人駅も多くて、「まさかICOCAが使えないんですか!?」と、とても困惑しました。
素敵な所に来たなと思った一方で、「とんでもないところに来てしまったかもしれない」と思ったのも本音です。笑
現在は自分の好きな時に好きな曲を流しながら好きなところに車を運転して行くことができる宮崎の環境をとても気に入っています。爆音を流しながら深夜の宮崎をドライブすることはストレス発散方法のひとつです。長時間の運転が好きで、鹿児島や熊本までドライブすることもあります。友人を誘うこともありますが、基本的には一人旅が好きです。
宮崎空港近く(田吉)の踏切にて、線路は一本
熊本にある唐揚げ屋「うめちゃんち」にてゲーム実況者「うめけん」さんと(2022年)
宮崎大学医学部に何とか合格することはできましたが、入学して早々周りとの出身高校と学力レベルの差に愕然としました。今までずっと普通の公立学校で何となく上位にいただけの私の目には、医学科に集まる人々の姿はとんでもないエリート達に映っていましたし、今でも住んでいた世界が違う人達だと感じることが多々あります。
医学科では、1年次で専門科目2科目を修得できない場合は留年となります。前述の通り、中学2年生の時から医者を目指すと決めて頑張ってきたので、ようやくスタートラインに立てたと意気込んでいたこの時期の私はしっかりと医学を勉強しようとしました。しかし、どれだけ勉強しても身についた実感が微塵も感じられませんでした。基礎医学は生物の基礎知識と暗記能力がかなり必要とされるのですが、その2点において私は致命的に遅れをとっていたのです。
結果として2科目が不合格、入学して1年で留年という判定を受けることになりました。1年前の入学時に思い描いていたやる気に満ちあふれた理想の医学生生活はいとも簡単に崩れ去ったのでした。留年してもなお、どうすればテストに合格できたのか分かりませんでしたし、自分がどこで何を間違えてしまったのかも分かりませんでした。「1年目の基礎医学ですらまともに勉強できないなんてやはり自分が医者になるなんてのは夢物語にすぎなかったのかも」、「私は医学部に入るべき人間ではなかったのかも」、と考えるようになり、本当に落ち込んだ数ヶ月を過ごすことになります。
どうやって立ち直ったかは正直覚えていませんが、振り返ると結局「時間」だったんだろうなと思います。趣味のお絵描きにのめり込んだり、一人でカナダに行ってリフレッシュしたり、それ以外は基本的に実家でゆっくりしたり。徐々にではありますが、留年という過去を受け入れて、「切り替えて一から頑張るしかないな」と無理やり思い込ませていきました。
今でも留年で負った傷は癒えきっていませんし、ふとした時に「どうしてあの時もっと頑張れなかったかな~」と悶々とすることはあります。留年してしまったものはもう仕方ないので「さっさと立ち直らなきゃ」とは思うのですが、なかなか難しいですね。留年で自分に植わった劣等感はこの先一生消えることは無いと思います。
ただ、留年という人生で1番の挫折から学んだことは少なくありませんでしたし、今では持ちネタにできるぐらい自分の中で消化できました。それでも失うものがあまりにも多すぎるので留年は絶対しないに越したことはないです!笑
当時を振り返る上村さん
宮崎大学生協の公式Twitterアカウントを見て、オリジナルTシャツのイラストを募集していることを知りました。「採用されれば1万円分のプリペイドチャージ」!もともとイラストを描くことが好きだったので、これは応募するしかないなと応募したところ採用されたんです。正直かなり軽い気持ちで描いたものだったのですが、ここまで色んな方に愛してもらえるデザインとなってくれて嬉しく思っています。
デザインは学部別のイメージを手書き風に表現したものになっており、一番最後に「みやだいもうくん」が反転した状態で「よっ」と出てくることでオチになることを期待して作りました。Tシャツにポロシャツにトートバッグと色んなバリエーションが生まれましたがどれも可愛くて、かつ使い勝手も良いのでお気に入りです。特にトートバッグは病院実習での相棒になりました。
とても便利で使い易いカバンなので宜しければご購入の検討よろしくお願いします^^(ステマ)
自らがデザインした宮崎大学オリジナルトートバッグ
「災害の時に役に立てる人に」が元々芯となっていた考えでしたが、近現代史や東欧史にも興味を持ち、いろいろな国における激動の歴史を学んでいく中で、最近は「難民キャンプや紛争地域で医療に携わりたい」と言うのが自分の夢になりました。夢を語るのは誰にでも出来ますが、私はそれを言って恥ずかしくない自分でいたいので、傍から見ればカッコ悪く映るかもしれませんが、つまづきも糧にして泥臭く愚直に努力していきたいと思っています。
私は今、連日報道されるニュースを見る度に3.11と同じ時の無力感を抱いています。二度と味わいたくないと思っていたあの感情と再び直面している状況です。世界のどこで何が起こっていようと、今はまだテレビの前で見てることしか出来ないただの医学生にすぎません。将来自分が役に立てるようになるためには医師になることがマストですので、今はひたすら医師国家試験合格を目標にがむしゃらに生きていきます。こう考えてみると、「世界を視野に地域から始めよう」のスローガンを掲げる宮大に私が入学したのは必然の運命だったのかもしれません。なんちって。
Student Doctor 授与式にて(2022年)
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