お知らせ・広報
大学院工学研究科1年
2001年生まれ宮崎県宮崎市好きな言葉:努力趣味:ゴルフ、サーフィン、つり、ドライブ好きな食べ物:寿司
ゴルフや釣り、サーフィンなど多くの趣味を持つ両親の影響を受け、幼少期から家族みんなで海や山へと元気に遊びました。そのため、当時は今と違って真っ黒に日焼けをしていました(笑)。
ゴルフは4歳の頃から始めました。小さな体で、思いっきりクラブを振っていたのを思い出します。またサーフィンは7歳から始め、波に乗る楽しさと自然の美しさを味わえました。宮崎県の砂浜海岸には、6月から7月にかけて、アカウミガメが産卵のために上陸してきます。アカウミガメや子ガメに出会えた時はとても感動します。
幼少期の頃から続けているスポーツや趣味を通して、同世代から高齢世代まで様々な方々と楽しい交流ができました。
高校卒業後は、大学へ進学したいと考えていました。そのため、進路を決める時期になると中学校の先生方は進学校の受験を提案されました。しかし、全日制の高校は、多くの課題が与えられ、校則が厳しいイメージがありました。高校では、独自の勉強法で勉学を極め、校則の縛りを気にすることなく、多くの社会経験を積み重ねていきたい意思があったため、両親が勧めてくれた定時制の宮崎東高校に進学をしました。宮崎東高校は単位制の高校です。授業は、自分自身の進路に合わせた時間割を作成することができます。また、定時制の中でも昼間部と呼ばれるコースに所属していたので、全日制と同じように朝から夕方まで授業を受けていました。しかし、国立大学に進学するには、授業のみの学力では足りません。そのため、各科目の先生方から、放課後にマンツーマンで勉強を教えていただきました。勉学以外の学校生活については、1年次から3年次まで生徒会長を務め、生徒がより楽しく学校生活を送れるようなイベントや行事を企画・実行しました。さらに、定時制ならではのイベントである「宮崎県高等学校定時制・通信制生徒生活体験発表大会及び文化の集い」に出場しました。これは、高校に進学するまでの過程や高校でどのようなことに挑戦し、将来何を目指すのかをスピーチする大会です。この県大会で私は優勝し、全国大会に進みました。全国大会では、人材開発統括官賞を受賞することができました。
△生活体験発表大会・県大会の様子
幼少期からモータースポーツに興味がありました。そのため、原動機付き自転車(原付)の免許を取得した後、高校1年生の5月に「二輪車安全運転大会県大会」へ出場をしました。この大会は、二輪車運転者の安全運転技能と交通マナーの向上を図ることによって交通事故を防止し、二輪車の安全利用を促進する目的で開催されています。私は、「高校生等クラス」の部で優勝し、鈴鹿サーキットで開催される全国大会へ出場をしました。スラロームや応用千鳥など、難しい走行技術を学び、実践することができた貴重な経験となりました。大会終了後、原付だけでなく他のバイクにも乗りたいと思った私は、普通自動二輪免許(中型免許)も取得しました。⼆輪⾞を通して、休⽇に家族でツー リングをしたり、モータースポーツの⾯⽩さを感じたりすることができました。
工学部社会環境システム工学科は土木系の学科です。高校2年生の時、コンサルタント会社で3日間インターンシップに参加しました。コンサルタントの仕事は主に土木工事の計画や調査、設計および点検を行います。その後、同じ会社の長期インターンにも参加させていただき、構造物の設計に欠かせないCADや測量器具の扱い方を教えていただきました。宮崎大学でのオープンキャンパスや会社でのインターンシップを通して、土木業界の魅力をより一層感じるようになり、土木系へ進学したいと思うようになりました。
△インターンシップ中に橋梁の点検をしている様子
宮崎大学工学部のAO入試を受験し、合格することができました。職員室に行き、合格の報告を行った際、先生方から拍手で「おめでとう!」と祝福してくださいました。合格に至るまで、多くの先生方から面接練習や試験対策のサポートを手厚く行っていただきました。今でも感謝の気持ちを忘れることはありません。
月日は流れ、高校卒業間際に通学で必要となる自動車を購入しました。車名はマツダのロードスターです。幼少期に「西部警察」という刑事ドラマを見ていた際、ドラマに登場する故石原裕次郎さんが乗っていたガゼールに魅力を感じ、「初めて購入する車はオープンカーが良い」と決めていました。
ロードスターは、屋根を開けて走ることで気持ち良い風を感じたり、宮崎の綺麗な景色を満喫したりできる為、毎日の通学やドライブがとても楽しいです。これからも大事に乗り続けたいです。
(写真:小学1年生の頃に森本さんが描いた絵には西部警察が・・・)
※西部警察:1979年から1984年にかけてテレビ朝日系列で放送された刑事ドラマシリーズ
私の大学生活はコロナとともにはじまりました。入学後も、新型コロナウィルス感染症の影響は拡大する一方で、4月7日には東京都で非常事態宣言が発出され、続いて4月17日には非常事態宣言が全国に拡大され、「ステイホーム」が呼びかけられていました。そのため、新しい友達と一緒に対面式での講義を受けることができず、自宅でオンライン形式の講義を聴く日が続きました。
思い描いてきた⼤学⽣活と⼤きく異なり残 念な気持ちになりましたが、中⾼⽣時代から続けてきた「講義で分からない箇所は⾃分⾃⾝で解決していく勉強スタイル」を活かすことで、コロナ禍のキャンパスライフに順応できました。
2 年⽣の春、医学部のゴルフ部に⼊部しました。普段講義などではほとんど関わることのなかった医学部の学⽣とゴルフを通して仲良くなることができました。オンライン講義が多かったため、部活動の時間は唯⼀仲良くなった友⼈と交流することのできる貴重な時間となりました。後期になるとコロナによる規制も徐々に緩和され、対⾯式の講義が増えました。グループワークや学外講義などを通して、同じ学科の友⼈も増えました。
△ゴルフ部の仲間と一緒に
進級するにつれ、講義の内容が難しくなりました。特に3年次では履修科目が多く、勉学に励む日々が続きました。そのため、講義終了後は附属図書館へ行き、閉館時間まで予習や復習、テスト対策を行っていました。
社会環境システム工学科(現:土木環境プログラム)は、3年後期から研究活動が始まります。自分自身の研究内容を理解するため、多くの書籍や論文を読みました。実験を行い、得られたデータを整理し、卒業論文を完成させる日々は決して楽ではありません。卒業論文を完成させ、発表を終えた時は大きな達成感を感じました。
△実験をしている森本さん
卒業式を1か月前に控えた頃、指導教員である森田先生から「卒業式当日は工学部を代表して卒業証書を受け取ってください」と言われました。その時はとても嬉しかったです。当日は、檀上に上がる際に袴の裾を引っかけて転倒しないよう、また、所作が乱れないよう細心の注意を払いながら証書を受け取りました。
後日、大学の広報担当の方から卒業証書を受け取る際の写真データをいただきましたが、どの写真からも自然な笑顔はなく、緊張している様子が確認できました。とても緊張しましたが、一生に一度の貴重な思い出となりました。
△工学部を代表して卒業証書を授与される森本さん(2024年3月22日)
卒業後の進路について、大学に入学した当初は地元の企業に就職しようと考えていました。しかし、大学生活の中で土木について学びを深め、研究を重ねていくうちに「更に専門的なことを学びたい」、「今行っている研究を続けたい」と思うようになり、大学院修士課程への進学を決めました。修士課程修了後は博士課程に進学したいと考えています。研究活動や国際学会などを通して、自分自身の知識やスキルをさらに向上させ、様々な視点から物事を考えられる研究者を目指したいです。近年、土木業界に携わる従事者の人手不足が問題とされています。土木業界は人々の生活に欠かせないインフラを整備することで、社会に貢献できる魅力的な職業です。この「宮崎大学のひと」を閲覧してくださった方々に、少しでも土木について関心をお寄せいただければ幸いです。
△森本さんの愛車②(ロードスター)
参考:
▼宮崎大学マガジン2023年8月号(森本さんが表紙になっています) https://www.miyazaki-u.ac.jp/public-relations/2023vol41.pdf
▼令和7年度から各プログラム名称及び入試方法を変更します https://www.miyazaki-u.ac.jp/tech/news/examinee/7.html
▼集まれ!宮崎アマテラスガールズ(JST女子中高生の理系進路選択支援プログラム) https://www.miyazaki-u.ac.jp/jyoshi_shien/
▼卒業生のいま:地元みやざきの人々の暮らしを守り、より良いものに(黒木小雪さん) https://www.miyazaki-u.ac.jp/newsrelease/topics-info/post-1010.html
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